原子力発電にまつわる問題

原子力発電にまつわる問題について、色々と意見を頂いたのですが、そのうちの2つをピックアップしてご紹介します。

1つ目
そもそも、放射能を放ってしまう原子力発電は存在自体がすでに危険でしょう。福島原発でどれだけの人が悲しみ、この先もいつまでその人たちの苦しみが続くのかと思うと心が痛みます。

ここまでの災害が起こって、補償や復興などで長所であるコスト面もまったく無意味です。しかも大飯原発の稼働もあまりにも安易でしょう。海岸沿いで地震だけではなく津波でも大事故になるのだから日本中が危険地帯。

早急に原子力に代わるようなものを発明して欲しいです!

2つ目
原子力発電がこの度の震災で大きな信頼を失いました。

原子力を強制的に終了することで、今まで電力会社の一本化による電力供給に対して競争力が発生する可能性が生まれてくると考えます。新しい技術ができることで、電力の自由化が生まれ、発電の効率化と小型化、低価格化が生まれると思います。

電気に関しての知識が一般人にも増えていくことで省エネに対する意識も高まっていくと考えます。新しい電気の時代を迎えるためには既に一般人に受け入れがたくなった原子力に頼るのではなく、新しい物を探していくためにも原子力発電には反対します。

以上となります。
更に詳しい情報を知りたいという方はこちら(→ http://solar.disnism.com/eco/atomic.html )を見てみて下さい。

地震をきっかけに深いつながりができた

東日本大震災で被害を受けた宮城県に、会社のお客様が住んでいたため、震災発生当日から何度も電話をしていましたが、まったく繋がりませんでした。

ようやく電話が繋がったのはそれから1週間ほど経ってからでした。お客様の声を久しぶりに聞いたとき、すごくホッとしました。

道路が遮断され、店も営業していないことから物資が足りておらず、特に近隣の人たちなどは水が不足しているとのことでした。

そして、情報までもが遮断されていることから、おそらく精神的に恐怖を感じ、かなり参っていたのでしょう、何度も「今すぐにでも来てくれないか」と言われました。状況を考えれば、それはなかなか難しいお願いだということをわかった上での頼みごとでした。

私は環境が整い次第、すぐに必ず行く、とだけ伝え、取り急ぎ水を何十リットルか送りました。

その後も余震が続いていたため、現地へ行くことを会社がなかなかOKしてくれませんでしたが、地震発生2ヵ月後にようやく「行っていい」と言われ、救援物資を2トントラックに詰め込み、他2名といっしょに現地へ向かいました。

お客様が住んでいたところは内陸の山沿いだったため、道路の亀裂ぐらいで、予想に反して被害は少ないようでした。

やっとお会いできたときには、なんとなく力がスーッと抜けていった感じがしました。物資もご近所に配って、2時間ほど話して帰りました。

あれから今も電話や手紙で連絡を取り合っていますが、地震をきっかけに深いつながりができたと思っています。

地震と地熱発電について

個人的な地震の体験は小中学校の時に比較的地震が多かったように思います。小中学校は兵庫県でしたが、あの阪神大震災とは断層が違うようで直接影響はないようです。小中学校の頃はずいぶん昔で阪神大震災よりも少し前ですが、授業中に地震がよく起こっていました。震度3ぐらいが一番多かったように思います。

それまではあまり大きな地震も起きてなかったのか、大地震というと歴史に出てくる関東大震災というぐらいでした。関東大震災のひどさも教科書に載っていましたが、白黒の写真で遠い昔のことなので実感としてはなかったと思います。そういうこともあり地震を経験していても揺れて少し怖い程度の感覚でその後の阪神大震災や東日本大震災のようなことが起こるとは当時とても信じられませんでした。

阪神大震災のときも比較的近いところでかなり揺れましたがそれほど被害にあわなかったことが幸いでした。以前私自身神戸の学校に通っていたこともあり、当時家族も神戸の学校に行っていたのでもしかしたら時期や時間帯によっては被害にあっていてもおかしくありませんでした。

特に朝、5時の地震でしたので家族はまだ通学していなかったのでそのまま自宅待機になり被害はありませんでした。私自身も進学して京都に済んでいて被害は合いませんでした。このように地震が身近におこりながらほとんど被害がなかったことはありがたいことだと思っています。

あとは、原子力発電所の問題で、エコエネルギーに注目が集まっていますが、中でも有望とされているのが地熱発電だそうです。私はあまり詳しくないのですが、地熱発電所を作るためのボーリングで土壌に影響を与えてしまうこともあるらしいです。

色々と検索をしてみたのですが「地熱発電の長所短所と問題点 | 家庭用蓄電池ナビ」こちらのページが結構詳しくてよかったです。

人生最大の地震

2011年の東日本大震災で今までの地震の中で初めての大きい地震を経験しました。
最初は少しだけ揺れていて、まさか大きく揺れるとは思わず普通に過ごしていたら、いきなりすごい揺れと共に色んな物が上から落ちてきました。
本当に怖くてテレビをつけたらすごい事になっていて足がずっと震えていました。両親に電話しても全然繋がらず、4時間位電話もメールも繋がらなくてその間もずっと余震があって本当に恐ろしかったです。
その後の食料不足や生活用品不足もすごくて、欲しいものがほとんど売り切れでスーパーをはしごしてまで探し回りました。こんなにすごい経験は初めてです。
これを機に、防災用品を揃える事にしました。
リュックサックを購入し、その中に何を入れたらよいかインターネットで検索し、必要最低限の物を入れました。それをすぐに持ち出せるように今でも玄関に置いてあります。
乾パンやお水などもそうですが、タオルやカーディガン、薬などを入れてあります。ただ、食料品は賞味期限があるので1ヶ月に一回位はチェックして期限切れにならない様にしてます。
もし期限が切れそうになったらそれを食べて、また新たに購入しておきます。
備えがあればいざという時に安心なので、安心の為にも防災用品は絶対に必要だと思います。

大きな地震を2回ほど経験しました

私は大きな地震を2回ほど経験しました。福岡県西方沖地震と東日本大震災です。

福岡のときは学生のときで、一人暮らしをしていました。丁度家にいて、自動車学校へ行こうとしていたときに経験したのです。揺れたときは本当にビックリししました。部屋の洋服を掛けるフック(というのかしら?)が倒れて綺麗なフローリングにポッコリと穴が開いてしまいました。出かける準備をしていたので、そのまま玄関先へ飛び出しました。福岡かは地震はない、と過信していたのですごくショックで。

東日本大震災のときは、金曜日だったこともあり仕事中でした。事務所はとっても古い建物だし、自分の席の背後には大きな棚にいっぱいの本が詰め込んであります。幸いなことに、棚が倒れて誰かが潰れることはありませんでしたが、「建物が古い」ということもあり揺れはひどかった。

社長はしっかりしていないし、社内の防災対策も万全ではない。今回の地震を機に対策なり、食料などの備蓄はするようにしていますが、社内ではそんなことを全くしないんです。人一倍、騒ぎまくって怖がっていた上司でさえも全く対策する気配がない。そんなんじゃ、いけないな、今度、もっと大きい直下型大地震が来たとき対応できないじゃないか、それは会社としておかしい、と思うようになりました。

誰も何も言わないから、余計に不安になってきます。だから、自分でいろいろ言うしかないな、と思っています。

あと、もう一つ覚えていることがディズニーランドが液状化して営業停止していたということです。舞浜や浦安は液状化の被害がかなりありました。営業開始後も自粛ムードもあり、営業的に大変な思いをされていたと思います。あれから1年が経ちますが、こちらを見る限りではまた以前のように活気を取り戻しているみたいですね。